[VOL.38]
お話を伺った方
大森 真央さん|倉原 康さん|二瓶 陽真さん
TEXT BY TANAKA YUKIKO
山が好きで、それぞれ異なる道をたどり、茅野で暮らすことになった3人。 なぜ山に惹かれ、なぜこの土地を選んだのか。
実際に暮らしてみて見えてきたのは、八ヶ岳の魅力だけではなく、人とのつながりや、日々移り変わる山の表情、土地の恵み、そして地域との関わり方。
3人それぞれが感じる「山のあるまち・茅野」の魅力と、ここで暮らすことへの思いを伺った。
山との出会い
ima-Zine:まずは、みなさんが山を好きになったきっかけから聞いてみたいです。
大森:私は関西の出身なんですけど、幼少期は近くの高野山に結構連れて行ってもらっていて、自然の中で遊ぶことが多かったんです。でも中学、高校、大学と進むにつれて、だんだん自然から離れていって。本格的に山が好きになったのは社会人になってからですね。仕事でロシアのウラジオストクにいたんですけど、ちょうどコロナの時期だったんです。人との接触も制限されていたし、新卒で仕事のストレスもあって、結構塞ぎ込んでいた時に、同僚に誘われて1,600メートルくらいの山へ連れて行ってもらったんです。道なき道を進む藪漕ぎのような、結構ハードな山だったんですけど(笑)、ちゃんと体を使っている感覚が「めちゃくちゃ楽しい!」「自然の中で生きてる!!」って。
二瓶:僕は東京出身で、最初は高尾山ですね。そのあと富士山にに登ったりして、本格的にハマったきっかけは社会人になってから登った槍ヶ岳かな。テント泊だったんですけど、めちゃくちゃ大変で(笑)。
大森:最初からテント泊ですか(笑)。
二瓶:そう(笑)。きつかったんですけど、頂上で見た日の出が忘れられなくて。「こんな景色があるんだ」って。それから山へ行くようになりました。
倉原:僕は二人よりちょっと遅くて、20歳くらいのときかな。小学校の同級生と静岡に行った時に、ノリで富士山に登ったのが最初です。運良くご来光も見られて、最初の登山がすごくいい記憶で終わったんですよね。
二瓶:最初の印象って大事ですよね。
倉原:大事だと思います。そのあと初めてソロ登山で八ヶ岳に行って、黒百合ヒュッテに泊まったんですけど、山小屋での過ごし方がわからなくて(笑)。一人で静かに本を読んでいたのを覚えています。
茅野へつながった、人との縁
ima-Zine 山との出会いは色々ですね。そこからどういう経緯で茅野で暮らすことになったんですか?
倉原:僕は「POOLO」という旅好きのコミュニティで知り合った廣瀬さんとの縁が、茅野に来るきっかけになりました。廣瀬さんから「森の中でひとりきりでピアノを弾いたり、表現活動に没頭できる空間を作りたい」という話を聞いて、「森と、ピアノと、 」※の立ち上げに関わるようになって。当時はまだ東京に住んでいたんですが、そこから茅野へ通うようになりました。
二瓶:僕もPOOLOに参加していて、倉原さんらがPOOLOで立ち上げた登山部に参加したことで仲良くなって、そこから一緒に山へ行くようになりました。
倉原:先に茅野へ移住していた廣瀬さんに会いに、登山の帰りに茅野へ寄ったりもしていましたね。
二瓶:ありましたね。白峰三山の帰りかな。「ちょっと寄ってご飯食べよう」みたいな(笑)。
倉原:そうやって何度も来るうちに、知っている人も増えていって。POOLOをきっかけに茅野へ移住した人も結構いるんですよ。
二瓶:最初から「茅野に移住するぞ」と決めて来た感じではなかったですよね。
倉原:そうですね。どちらかというと、人とのつながりが先だったと思います。
大森:私は二人とは違うルートなんですけど、松本に住んでいたときに、入っていたトレランのコミュニティの中に茅野に住んでいる方がいたんです。その人に私が以前ロシアにいたことを話したら、知人がロシア語ができる人を探しているという話になって、それが、8Peaks livingの立ち上げに関わっていた、廣瀬さんの旦那さんの石島さんだったという(笑)。そこから今の8Peaks livingの仕事へとつながりました。人との縁が重なって、最終的に茅野へ来ることになったんです。ただ、松本にいた頃から八ヶ岳には何度も登りに来ていて、「茅野の山で何かしたい」という思いもありました。以前、八ヶ岳で大きな怪我をしたとき、山小屋の方や、たまたま通りかかったガイドさんに助けてもらったことがあって。安全に山へ登ることの大切さも、八ヶ岳で教えてもらいました。その経験もあって、この土地で自分にも何かできたら、という気持ちはずっとありましたね。
山のそばで暮らして、見えてきたもの
ima-Zine 実際に茅野で暮らしてみて、どんなことを感じていますか?
二瓶:地元の人が「山は見るものだから」って言う理由が、住んでみてすごく分かるようになりました。毎日見ていると、山の色が少しずつ変わっていくんですよね。雪が積もったり、溶けたり、緑が濃くなったり、紅葉したり。四季の彩りをすごく感じられる。それって、たまに遊びに来るだけでは見られない変化じゃないですか。日々その景色を見られるのは、住んでよかったなと思うところだし、すごく豊かだなって感じます。
大森:私は、農家さんからめちゃめちゃ野菜をもらうのが嬉しいです(笑)。「余ってるから持っていって」って、本当にたくさんいただいて。松本にいたときも旬の野菜は身近だったんですけど、茅野に来てからは、人から直接いただくことがすごく増えました。そういうのも、この土地で暮らして感じる豊かさですね。一方で、人とのつながり方は松本とは少し違うなとも感じました。松本はカフェも多くて、いろんなコミュニティがあって、そこから自然と人とつながる機会が結構あったんです。茅野はファミリーで暮らしている方が多い印象で、独身で移住してくると、最初はちょっと距離を感じるところもあって。
二瓶:自分からつながりを探しにいかないと、というのはありますよね。
大森:そう。だからこそ、8Peaks livingみたいに、仕事でもイベントでも、何かをきっかけにいろんな人と出会える場所があるのは、すごくいいなと思います。
倉原:僕は、茅野の子どもたちがやっている「調べる学習」がすごくいいなと思っていて。八ヶ岳のことだったり、星のことだったり。普段は学校の先生をしている人たちが、実はそういう地域のことにもすごく詳しくて、子どもたちと一緒に学んでいる。そういう文化って、すごくいいなと思うんですよね。
二瓶:地元の人にとっては、それが当たり前だったりするんでしょうね。
倉原:そうなんですよ。でも外から来た自分からすると、「こんなに面白いものが身近にあるんだ」って。地域のことを知って、それを次の世代につないでいくような文化があるのは、すごく素敵だなと思います。
山好きが集まるコミュニティからの縁で、このまちに暮らすことになった3人。
そんな3人には、これからの茅野がどんなふうに見えているのでしょう。山と人、人とまちをもっと楽しく「つなぐ」アイデアや、茅野でやってみたいことも、まだまだあるようです。
続きは次号で、もう少し聞いてみたいと思います!(後編につづく)
PROFILE
大森 真央(おおもり まお)
大阪府出身。海外勤務を経て、山が好きすぎて2022年に長野県松本市へ。2026年5月に長野県茅野市へ移住。「8Peaks living」でコミュニティマネージャーをしながら、今後は登山ガイドとしても活動予定。
倉原 康(くらはら こう)
福岡県春日市出身。2026年4月に長野県茅野市へ移住。同年7月より茅野市の地域活性化起業人(株式会社TABIPPOより派遣)として、茅野駅前の「8Peaks living」を起点にまちづくりに取り組んでいる。
二瓶 陽真(にへい はるま)
1997年東京生まれ。学生時代はパタゴニアでの勤務やピースボートでの世界一周を経験。その後、外資ベンチャーの日本立ち上げに参画し、現在は茅野市に移住をして、Kotobitoで旅行業の新規事業立ち上げを推進しています。