[IMA-ZINE INTERVIEW VOL.38]
元気なまちで、今(いま)を生きる、元気な人(じん)にインタビューするコーナー。
諏訪湖リゾート株式会社 代表取締役
白鳥 和美
Kazumi Shiratori
INTRVIEW WITH KITAHARA JACKSON YU TEXT BY TANAKA YUKIKO
諏訪湖のほとり抜群のロケーションを誇るRAKO華乃井ホテルは今年創業31年目を迎えた。代表取締役社長の白鳥和美さんは創業の年に新入社員として入社し、若女将、女将を経て取締役に就任した異色の経歴の持ち主。人に寄り添い、しあわせの輪を広げたいという一心でしなやかににこやかに歩み続ける白鳥さんのホテル業、諏訪への思いについて伺った。
新入社員から女将へ、そして社長へ
白鳥和美さん(以下、白鳥):入社したのは1992年の4月。このRAKO華乃井ホテルができた年に、オープニングスタッフとして就職したの。もともとホテル内にプールとフィットネスがあったのでスポーツインストラクターとして入社したんだけど、お正月には着物を着てお抹茶を出すお仕事もしていたの。そうしたらそこへ(現代表取締役会長、当時の社長)井口恒雄さんが来て「なんだ白鳥君は着物が似合うじゃないか。だったら女将をやらないか?」っていうんです。そうはいっても27歳でまだ若いから若女将の名刺を作ってくれっていうことでその場で決まっちゃった。井口さんの決断力がすごい。
RAKO華乃井ホテルが31年目に入ったんで、私も31年目。入った時はもっと世界の舞台で自分を試してみたいとも思っていたんだけど、ホテルの仕事をもっと勉強したいもっと勉強したいと思っていたらこんなにお世話になっていて自分でも驚くね。
北原ジャクソン友(以下、北原):おもてなし、サービス業が好きなんですか?
白鳥:そうね。周りの方がしあわせになるのが私のしあわせ。ホテルって喜びの輪が広がっていく拠点になれるでしょ? もともとは学校の保健の先生になりたかったの。今って子どもたちが心を病んでしまったり、先生たちもご苦労があったりする。そういうのに寄り添いたいと思っていた。違う形だけど、ホスピタリティという意味ではさせていただいている気がするかな。
コロナ禍の只中で次に訪れてくれる
お客さまのために
北原:ホテル業ですからこのコロナ禍はとくに厳しかったのでは?
白鳥:本当に厳しい3年間でした。自分たちではどうにもならない。受け身になるしかないっていう感じかな。長く働いていてくれたスタッフもけっこう辞めていきました。でもそのコロナ禍の2021年にこの「KOHAN NO TERRACE」を作ったの。次に来てくれるお客様に諏訪湖の素晴らしさをもっと体感してもらいたいと思って。ここに住んでいる私たちから見ても諏訪湖って毎日表情が違って、毎日新鮮。客室には諏訪湖が見えないお部屋もあるけれど、すべてのお客様に諏訪湖を見てもらいたいと思ったの。朝もいいし、昼もいい、サンセットもいいし、夜景もきれい。
イマージさんには湖はもちろん富士山が見えるように設計していただいたので、山のこともすごく聞かれるの。冬はアイスキャンドルに願い事を書いてここに並べてきれいだったのよ。アンケートも口コミも良かったところで一番多いのはこのテラス。
このテラスができてから紅やさんにもテラスができて、その次に湖泉荘さんにもできたの。諏訪湖の周りにお客さんが喜んでくれるスポットが増えたと言うことだから良かったなーと思っています。
諏訪全体を牽引する存在へ
北原:商工会の副会頭も務められて活躍の幅が広がっていらっしゃいますね。
白鳥:諸先輩方がいらっしゃるので、何度もお断りしたんですけど。一番考えたのはコロナ禍で大変なときに経営者の自分がホテルにいない時間が増えていいのか、と。逆に自分のホテル一つ守れない人間が町の経済の活性化に役に立てるのか、と。でも井口さんに「やってもみないでできないとか言うのはどういうことか。それならやってみて失敗して反省する方が成長につながる」って言われたんです。私はそうやって育てられてきた。
この先はホテルとしても新たな展開も考えています。自分の原点にも立ち返りつつ、ホテルに宿泊されるお客様だけではなく、諏訪に訪れる皆様に楽しんでいただけるような、事業ができたらと考えていますので楽しみにしていてください。
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ホテルを訪れたお客様へのお礼状に使用したという、インク切れのペンの数々。
「私の宝物なの」と白鳥さんは笑顔で語る。
I N F O R M A T I O N
RAKO華乃井ホテル
〒392-0022
長野県諏訪市高島2丁目1200-3
tel.0266-54-0333