[IMA-ZINE INTERVIEW VOL.18]
元気なまちで、今(いま)を生きる、元気な人(じん)にインタビューするコーナー。
二胡龍胡堂 株式会社 代表取締役社長 劉 鉄鋼
INTRVIEW WITH KITAHARA JACKSON YU
上諏訪駅近くに建つ白壁が印象的な土蔵。2012年、ここに二胡の販売や教室を手がける「二胡 龍胡堂」がオープンしました。二胡とは1500年もの歴史をもつ中国の伝統的な弦楽器で、その哀愁漂う独特の音色が魅力です。代表取締役社長の劉鉄鋼さんは中国ハルビンの出身。ハルビン師範大学で音楽教師の免許を取得し、二胡の修理もできると言います。
2018年には東京・中野にも2号店をオープンし、イマージでは両店の設計・施工をお手伝いさせていただきました。今年はいよいよ法人化も果たした「二胡 龍胡堂」。ここに至るまでの歴史と今後の展望を伺いました。
音楽好きの少年を魅了した二胡の音色
中国のハルビン出身で、2003年に諏訪にきました。ここに日本語学校があったんです。初めて見たとき、諏訪湖がいいなと思いましたね。それからずっと諏訪にいます。
二胡を始めたのは普通より若干遅い13歳です。ハルビンといっても中心部から3時間くらいの、いまだに電車が通っていない田舎の出身です。8歳までテレビはなくてラジオしかありませんでした。そのラジオから流れて来る音楽が好きだったんです。
近所のおじさんが毎日夕方になると外で二胡を弾く。おもしろいなと思っていて13歳くらいにやっと二胡を習う機会があって、そこからもう夢中でやりました。一番は音色です。たまらなかった。その後ハルビン師範大学を出て、音楽の先生になりました。
今は修理屋さんでもあり、二胡を売ったり教えたり、演奏したりしています。
二胡の文化を日本に広めたかったんです。日本に来る少し前に「女子十二楽坊」が有名になっていたので、この楽器も日本に広まったらいいなと思いました。
日本語学校に通いながら二胡教室を開いて、少人数制でやっていました。会員さんがどんどん増えて、中国の楽器なのにこんなに好きになってくれる方が多いことにびっくりしました。女性の生徒さんが9割です。最初は一人一人教えていたんだけれど手が回らなくなって、今は中国の大学や大学院を出た優秀な先生も雇ってやっています。
販売から修理まで。二胡のある暮らしに寄り添いたい
以前も楽器の仕入れはしていましたが、生徒さんに売るだけだったんです。でも外部からの問い合わせもあってやっぱり楽器店をやりましょうと。そうしたら駅前にたまたま築100年の土蔵があって、文化も感じるしぴったりだと思ってすぐ借りました。お店にするにあたって、他の業者もいろいろ見たんだけれど、イマージさんのセンスと社長さんの熱意を感じてお願いしました。
二胡は値段が4万円くらいから200万円もするものまであって、全部手作りです。そういう商品なので大切に飾りたいと思ってガラスケースにしたんです。中華料理店ぽいイメージとも迷ったけど、もうちょっと宝石屋さんっぽい二胡屋さんがいいな、とこだわりました。龍のロゴも作っていただいて、みなさん二胡の愛好家なんで見ていて気持ちいいと言ってくれます。
2018年には東京・中野のサンモールの北アーケードにお店を出しました。東京には二胡屋さんが何件もあるけど、一番綺麗なのはうちでしょ?(笑)
今作ってもらっているパンフレットでは二胡の販売からメンテナンスまで紹介できるものを考えているんです。全国の二胡屋さんや二胡教室に宣伝して、そこから楽器の販売にもつながればと思っています。二胡教室は増えているのに楽器店があまりないので。
耳で選び抜いた本物を届けたい
今までがんばってきたものやこだわりが強みだと思います。店の内装はもちろん、先生も楽器も全部きちんと一流を揃えています。コロナになる前は私自身が中国に行って二胡の仕入れをしていました。中国のあちこちに行って、実際に弾いてみる。まず私の耳を通らないと日本では売れない。木材や革、製作者によって全然違います。同じ人が作ったものでもいいものと悪いものもあるんです。そのこだわりが評判につながって、東京のお店を開いたときもスムーズにいったんだと思っています。いまのお客さんほとんどそういう口コミです。
コロナになって会員さんが減ったけれど、徐々に数が戻っています。教室も増えている。二胡にはヘビ皮が使われていてワシントン条約にひっかかるので、簡単に輸入ができません。誰でもやれることじゃないんです。
今後は全国に教室を展開しながら、文化の一つとして広めたいと思っています。そこが使命、なぜ日本に来たかという縁みたいなものです。その道でがんばりたいですね。
I N F O R M A T I O N
インタビューの様子は動画でもご覧いただけます。