[VOL.03]
新星劇場
TEXT BY TANAKA YUKIKO
PROLOGUE
JR茅野駅東口を出て南に進むとすぐ、年季の入った白い建物が目に入る。踏切沿いのそれは昭和32年に開館した「茅野新星劇場」だ。平成25年に惜しまれつつも閉館した同館だが、実はいまも精力的に上映活動を続けている。柏原さんの映画にかける思いと、街に映画館がある意義を伺った。
国民が熱狂した映画という娯楽
ぼくは富士見町の出身で、親父は富士見駅の近くで映画館をやっていました。茅野市が市政施行を目指していたとき、市になる条件の一つに市内に映画館が2館以上あることという条件があったらしいんです。それで昭和32年に地元有志がこの茅野新星劇場を開館。その2年後にお声がかかってうちが引き継ぎました。ぼくからしたら昭和30年代といえば映画全盛期ですよ。それだけ映画が文化的な役割を果たしていたってことだと思います。
今は180席ほどの座席がありますが、最初は座席なんかないただの土間だったんです。そこに長椅子を置いて、ぎゅうぎゅうになってお客さんが入っていた。同じスペースに340人も入ったこともありました。売店の品物や冷凍ケースのアイスも休憩ごとに空っぽになるくらいの賑わいです。チケット代も今より安くて、子どもからお年寄りまで楽しめる国民の娯楽だったと思います。
街の映画館の苦境
その後テレビや他の娯楽もいろいろ出てきて、そんな熱狂的な映画人気は落ちついてきました。
そして今では映画といえば大型のシネコンでしょう。家でもネットで気軽に映画が観られる。そうなってくると映画の興行というのは地方の小さな映画館のことなんか考えられてないんだなと思ってね、嫌気がさしてしまったこともあったんです。ここを潰して、マンションにでもしようかと考えたこともあった。平成25年にここを閉館しましたけど、いまも頼まれれば上映しますし、移動上映の仕事はあちこちでやっています。結局映画からは離れられなかった。
移動上映でこの辺りで一番有名なのが原村の「星空の映画祭」ですね。これを観にきた当時の矢崎市長が茅野でもこういう映画祭をやりたいといって一緒に始めたのが「蓼科高原映画祭」です。最初の年は3日間だったものが、25年経った今では9日間もやるようになった。
映画館があって、
映画祭が開かれる街であり続けること
蓼科高原映画祭の上映は茅野市民館とここでやるんですが、市民館で観た人がせっかくなら映画館の方で観たかったって言ってくれることがあるんですよ。やっぱり映画館は映画専用の会場ですし、音響設備も多目的ホールとは全く違うんです。これだけ続けるとこの映画祭がこの地域の人たちの中に定着して、期待してもらっているっていうことだと思います。そう思ってくれる人がいるっていうのはうれしいですよねえ。
いつまでできるかはわからないけれど、息子も手伝ってくれているから、いずれ継いでくれるんじゃないかな。文化を担うなんて大それたもんじゃないけど、この街に映画館があり続けてほしいなあと思います。なにしろ映画が好きだもんでね。
I N F O R M A T I O N
新星劇場
〒391-0005 長野県茅野市仲町9-15
TEL. 0266-72-2310